2012年1月27日金曜日

霊性、情報、その分身のためのカイエ2

泥と血と情報の混合物の中に、身も護れず死んだように横たわっている我々を、誰も尊重はしなかった。こんな陰気な喜劇を誰に見せようというのか?我々に馬鹿にされた至高神に?憂鬱そうに、嫌けざし、うす気味悪く、修道院の墓穴に埋葬されて、戦慄すべき仮象の波に絶えず突き動かされ、いり乱れぶつかりあう、手と手を不透明で表象としての象徴のままに、それら贖罪の円陣は今は亡き無限の光輝の破片を探し求めている間に、彼は人知れず墓の彼方に降りていった。
われにもあらず、身をひき、絶えず接吻するようにすすめようと、他の一人がそうしたのだから。別な声、何か知れぬ本能で、造物をつくりつづけ、脱けだす術は太陽が地平線の中に沈むのを待って、忘れられた。誰かが出ていくのを見られでもしたら大変なことになる、我々の身は常に危うく、天の境界を犯して地上に舞い降りるに至らしめ、光を知りたいと思ったのだろう。これら本能的なエートルの光学的暗唱の数々が、彼岸に彼岸を呼び、人類のすべてを苦悶させながら、絶命させることが出来たとは!刑罰のような情報的歯車仕掛けに長期に渡る歴史の構築に実在はすべて粉々にされた実際に墓の彼方にある生は、甦生(リロード)する術をすべて機械に委託し、悪魔が惰眠から目覚め集合した記号の同勢に演説をぶって、欲望を鼓舞させ、すべての生を汚らしく、身を落とさせ、これら造物の記号的枠組みによって骨組みをしゃんと立て直し、勝ち誇り、意気揚々と突っ立って、すべてを仮象の中へと、偽造した生へと転生させた。運動家、革命家、テロリスト、独裁者たちは、こうした枠組みをさらに悪化させた偽造の生をもってして再構築したにすぎない。したがって、行為及び実践は偽造した生の外へと体感させるものでない以上、何も本質的変化は望めない。
「せねばならないことは、自分自身を分離の世界から徹底的に分離したものと認めることだけである。」
もはや仮象実体の統合からは誰も逃れることは出来ない。したがって、仮象内部から何か爆発的契機を伴って、例えば歴史的事由など、の転機を境にして、徹底的にこけおろし、分離したものと単に認めることだけではなく、仮象内部に侵入し、嘲るような反射光で照射の出来の日に通じて、暗黒の情報路のは、望むべくでもない、雷鳴をとどろかせ、警告を発する何かしれぬ本能で、一条の燐光を、仮象そのものにベトベトに張りつかせ、自らを記号的一要因として仮象そのものとして確定的に公認し、これらの逆算により内部を被爆させるように、シチュアシオニストのように状況を構築することではない、何故なら現在は個すらも観察される以上、それさえも情報の枠組みの中に囚われるからだ。
これら状況そのものを、あらゆる悲惨と危険にさらして、熟慮に熟慮を重ね、情報の流通そのものを逆に促進させ、これら過剰の記号的奔流によって、自らを堪え難い記¥で、逆転的に情報そのものを転覆させる記号の渡り船のようなものである。
それら記号を異なる価値ある意味性へと転用させ徹底的に記号的生として固守することで新たなタイプの生ある仮象的主体を召還し構築する、そこに唯一芸術の可能性が芽生え「あらゆるレヴェルで資本主義の疎外がますます強く推し進められ、労働者が自分自身の悲惨な状態を認識し名づけることがますます難しくなるために、労働者は自分の悲惨の全体を拒むか、何も拒まないかという二者択一のなかに置かれる。その時、革命組織は、疎外された形態で疎外と闘うことはもはや不可能だ。」
個人の疎外が疎外と闘うことは、名づけ難い自動修正レベルでの世界同時性の情報統制に必ず囲まれる以上、その存在をまずは認識し、それの中に取り込まれることを受け入れ難い真実ではあるが、受け入れ、自ら仮象実体として、その中で記号として誇示することで地理的に横断せねばならない。
もはや情報から逃れることは不可能である、世界的に同時的に歴史は進行する以上、むしろその歴史を誇大化したものとして一端容認し、その中で闘争していかねばな(ノヴァーリス)」
非人称的な記憶、これは同時に社会の管理者の記憶からも逸脱し、全く関係のないところで生起する。これらの場所はひとつではなく、多数存在し、全体文字の中にそれぞれで複雑な網目のように歴史の主体を瞬時にテレポートさせ、エジプトであったものがモロッコであったりロンドンであったりする。これら同時性の操作を握るのは、意志性とは反した生肢体であり、彼らは移動することも考えることも目的も持たない故に、記憶自体を爆発的に相乗さ痙攣のような伝播性は、その機会がきたときには歓喜し、我が物にし、自分の再領土を一層拡げる方法を考え、何か変化を勝ち得たに違いないと心強い慰めを得たとき、常に生を堕落させる。このいたるところ生肢体で覆われた場所を指差しながら、荒廃した都市の敷石の下の砂浜なる場所で流れ続け、犯すはずであった三重の罪を等しげに流れるままに全体に罰し続ける。
仮象実体はますます疎外を深め、私なるものを他に再発見しひと時の救いを手にし、執拗な生命力でぴくぴく鼓動し続けるが、ここにある銀河の実状は星の軌道をものにするわけではなく、炎を燃やす炭坑夫のように重労働に犯され続け、手が汚れ、何が何であるかまるで分からなくなる。
「永遠は、円環的時間の外に出た。だが、この永遠は円環的時間それ自体の彼岸であり、それは、時間の不可逆性を抑え、歴史そのもののなかから歴史を削除し、円環的時間が破壊され廃止された純粋な点のようなものとして、不可逆的時間の反対側にその身を定めるのである。」「そして過ぎ去る時間を使って、われわれは過ぎ去ることのない永遠の中に入るだろう。ボスュエ」
それ自体の彼岸、すなわち仮象所有の時間制は常に0と1を混合させ判別のつかない結果となる。始点、終点を定めず、それぞれ仮象実体が所有する時計は常に自らの欲望の針を刺し、仮象を受け取り、実象を時間の外に放り投げる。